OVER THE HILL

永遠の半ばを過ぎたお母さんと、小2男児の学習日記(弟付き)

自分が存在していることの証明

以前書きましたが、お正月早々に第三子を”流産”してしまいまして、その後手術を受けました。その時に静脈麻酔を使ったのですが、貰った診療明細書に”ケタラール”との記載が。そのケタラール(ケタミン)は幻覚を引き起こす副作用があり、麻薬として乱用されることもあるらしいのです。

何故そんな話をするかというと、私も手術中に幻覚をみてしまったから。あれはいったい何だったんだろう?と帰宅後に検索したところ、とても似た内容の幻覚(夢?)を見た人が多くて驚きました。

カラフルな幾何学模様の空間をジェットコースターのように駆け抜けてたどり着いたところは真っ白な世界。そして自分の身体が無いことに気が付く。

「うそ!どうしよう!私がいない!」
「でも私はこうやって今考えているし、私はいるよね?」
「考えることを辞めたら、私はこのまま消えてしまうのかな?」
「考えなくちゃ…ずっと考えなくちゃ…ずーっと考えなくちゃ…」
「そうだ、そんなデカルトの言葉があったね…」

”我思う、ゆえに我在り”を体現したかのような出来事に、麻酔から覚めてからしばらくの間病院のベットの上で「デカルトって偉大だわ…」と耽っておりました。

いなくなってしまった赤ちゃんなのですが、妊娠12週以前だったので死産届も火葬もありません。だから公式な記録として彼(彼女)はなく、人として存在しなかったことになっています。彼(彼女)が一瞬この世に存在していたことを証明するのは2枚のエコー写真。そして妊娠を知っていた私と夫と上の息子の記憶の中のみ。

家族があの子のことを思い出したり考えたりし続ける限り、彼(彼女)は家族の中で存在し続けます。だから、私はあの子のことはこれからもずっと愛おしく考えてあげたいと思います。

そんなことを考えていたら、”お墓”って実はとても重要なものなんだなと気が付きました。お墓詣りに行くのはそれは死者を尊ぶ気持ち・敬う気持ちと同時に、子孫がご先祖様の存在していた事実を認めるという行為なんですね。

春のお彼岸は、息子にデカルトの話でもしながらお墓詣りをしようかな…なんて思いました。